芸術について思うこと(本質について)

 

1:父親の話(ドイツにて)

父親が初めてドイツに出張に行ったときの話を聞いた事があります。

 

父親は当時中学生だった僕にこう言いました。

「歩く時は下にも気をつけなきゃいけない」

 

もちろん、始めは何のことかわからず、

フランスにてハイヒールが流行した理由が、

当時パリ市街の道端に糞が転がっていたほど汚れていたという

嘘か本当かわからないような話を思い出していました。

 

父親に詳しく聞くと、

路上に落書きをしていた絵描きさんに気付かず、

その路上の落書きの上を歩いてしまったそうです。

 

すると絵描きさんはこう言いました。

「おい、僕の作品を踏むなんてどういうことだ。

お金を払ってもらうぞ。」

 

そう言われ、父親は気持ちのお金を支払ったそうです。

 

父親の目線で話を聞くと

「海外ってやっぱめっちゃ怖い」

「ひどい話だ」

と映るかもしれません。

 

しかし、当時悪魔のようにピアノに没頭していた僕は

見知らぬ絵描きさんの発言に共感してしまいました。

 

2:現代アートとの出会い

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ピカソ「泣く女」

交際して3年になる女性がいます。

その人は文章を書くことに長けており、

僕と違うものの見方をしています。

 

交際前に見せてもらった課題で作成したというエッセイの表現が美しく、

どんな目で世界を見ているのかが気になり、

僕も同じフィルターを通して世界を見たいと思うようになり、今に至ります。

 

そんな彼女は現代アートが好きで、現在まで数々の展示へ足を運びました。

 

高校の頃、ピアノの部屋に行く最中に

様々な未完成の芸術品を観ていたことをきっかけに、

美術館に1人で通うようになっていました。

 

しかし、私が好んでいた芸術は印象派までの作品であり、

その後の抽象的な作品には良さを見出せないでいました。

 

美術品だけでなく、

音楽においても現代音楽には近づこうとしていませんでした。

 

例えば、プロコフィエフピアノソナタで言えば2番まで。

Prokofieff / Sonata No. 3

Prokofieff / Sonata No. 3

  • Andreas Klein
  • クラシック
  • ¥150

リストも後期の作品になると知らないという曲も多々あります。

 

そんな私が現代美術の展示に何度もいくことになりましたが、

最初は本当に混乱していました。

 

「何が美しいのかがわからない」

 

その感情だけが心に残していました。

 

美術品の隣に設置されている説明を時間をかけ、

同時に深く考えながら作品を考えることで次第にその苦痛は消え始めました。

 

20歳を超えてようやく芸術の本質に気付いたからかもしれません。

 

3:芸術の本質

芸術の本質、それはシンプルで必ず皆さんわかっていることです。

 

伝えたい事がある。それだけで芸術。

 

作品を生み出すことは容易なことではないと思います。

そんな中で芸術家が汗水流して必死に生み出すのはもちろん理由があると思います。

 

その理由こそが上記の本質があるからですよね。

 

嘆きたくなるほどの伝えたい事がある。

 

伝えたいことを自分のフィルター・パレット・筆・キャンバスを用いて伝えていく。

 

それが芸術だと思います。

 

ドイツの絵描きさんで言えば、

彼にとってのキャンバスは路上であり、

そこでしか表現できない伝えたい事があったと考えています。

 

現代アートにおいても全て共通して同じ事が言えました。

 

作品を見るにあたり、

美しいか否かで見るのは退屈でしかないです。

 

アニメ・小説・舞台・ゲーム・音楽・詩・はたまたブログ

 

この世に生まれる作品たちは必ず意味があると思っています。

ぼーっと眺めるのは、時間の無駄だとようやく気づきました。

 

もちろん例外はあり、僕も趣味でばかみたいな絵を描きますが、

自分の欲求を満たすだけの物です。

そのようなものは作品とは言わず、練習か自慰です。)


【Piano】Frozen2 "Show Yourself" アナ雪2「見せて、あなたを」【ピアノ】

4:芸術の本質と自分

僕は今まで、演奏者としてピアノやオルガンを弾いてきました。

すでに作曲された曲を楽譜に従って弾いていくわけですが、

課題に追われ、先生の指導に嫌気がさし、何度も辞めようとしていました。

 

嫌になるのは、演奏者として

本質を理解していなかった

 

そのように今では振り返っています。

 

高校生の時には、何もわかっていませんでした。

 

何のために作曲家の伝記を読んでいたのか、

違う演奏家の演奏を何度も聞いたことに意味があったのか、

私はおよそ半分しか理解していなかったと思います。

 

作曲家が何を伝えたくて曲を書いたのか、

楽譜で読みきれないことを、

・先生に教えてもらう。

・作曲家の背景を調べる。

 

そして、演奏者もただのCDプレイヤーではなく、芸術家です。

 

弾く曲を通して聴く方に何を伝えるのか

その自分の中の「芸術」がなければ演奏は成立しません。

 

そのために、違う演奏家の演奏を何度も聴く事によって

伝える内容のヒントを得ることが大切だったのです。

 

芸術は伝えたいことを発信するものですから、

芸術を扱う私たちは、

たとえ生徒であれ、

受け身であってはならなかったんです。

 

ピアノアレンジをしていく中で、

僕のごくごく狭い引き出しの中からではありますが、

伝えたい内容によってアレンジ方法を変えるのも当たり前です。

 

作曲をするにあたっても、もちろん伝えたい内容から考えるようにしています。

 

僕のようなとても未熟な人はいてもいなくても

芸術界において、痛くもかゆくもありません。

 

拙いながらもせめて「芸術」と呼べるものを残さなければ

僕は何の意味もありません。

 

芸術の分野で僕にできることは、

伝えたいことを必死に伝え続けることです。

 

もっともっと自由に伝えられるようになりたいから、

もっともっと技術や知識が欲しいです。

 

あがいて、もがいて、泥まみれになって

見るに耐えない姿になろうとも、

何か一つでも伝わる何かを、誰かに届けば・・

 

・ 

 

なんてことを夢に見つつ、

今日もスプラトゥーン2を起動するのであった。

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